2007年06月10日

第5回 ミステリー文学資料館からトキワ荘跡地へ

※この日に歩いた道の地図はこちら↓
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私は毎日自転車で中野区の北端から練馬、江古田、東長崎、目白を通っ
て雑司ヶ谷まで、35分かけて自分の店へ通勤している。前回、豊島区
郷土資料館で「長崎アトリエ村」の模型を見てからというもの、通過す
る東長崎周辺が気になって仕方がない。
いつも急いで通過してしまう道だが、アトリエ村の片鱗が、あの脇道の
奥に残っているのではないか、木造平屋のアトリエ付き住宅が、ひっそ
りと忘れ去られたまま建っているのではないかと期待し、日々想像を膨
らませているのだ。

そんなわけで、今回は私の願望を満たすべく、池袋モンパルナス散歩と
させていただいた。もうすぐ戻るので、待っていてね「わめぞ」。

池袋駅西口、光文社・ミステリー文学資料館から西へ300メートルほ
ど大通りを進むと、山手通りと交わる要町交差点。さらに西へ150
メートル行くと、右手の脇道に「えびす通り商店街」がある。

もともとは川だったのだろうか、500メートルほども続く長い商店街
の道は、くねくねと蛇行している。八百屋、花屋、布団屋、ベーカ
リー、やきとり屋、和菓子屋、魚屋、米屋……昔ながらの個人商店が
延々と続いていて、道を歩くだけでも楽しい。めずらしいものでは蝋燭
の専門店(キャンドルではなく、ローソク。仏壇に備えるための。)も
あった。駄菓子屋で蝋石を買う。50円。

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▲えびす通り商店街入口

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▲駄菓子屋での戦利品

商店街の中ほどに延命地蔵の祠がある。写真を撮ろうと構えていると、
ランドセルを背負った男の子がすたすたと歩いてきて、カランカランと
鈴を鳴らしてお参りをした。その様子がずいぶん老成しているので、思
わず「いつも拝んでるの?」と聞いてみた。「あ、ハイ、6年間まいに
ちやってます、1年のときから、ぼくもう6年なんです、むかしおじい
ちゃんといつもここでおまいりしたんです、でもおじいちゃんはしんで
しまったんです、りっぱおじぞうさまでしょう、ほら、このほこらもす
ごいでしょう、ところでなにをやっているんですか」と、早口でしゃ
べったかと思うと、前のめりにまたすたすたと歩いていってしまった。

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▲前のめりの少年

さらに歩いて、商店が途切れるあたり(豊島区高松2丁目)にある、タ
バコ屋のレトロなショーケースに目が釘付けになる。一番上に「たば
こ」「CIGARETTE」「煙草」「Tobacconist Shop」などと
書かれている。タバコニストって。店番をしていたおばさんに話を聞い
た。昭和32年の6月からここでタバコ屋をやっているそうだ。建物は
1度建て替えているが、ショーケースは当時からのものをずっと使って
いるとのこと。「下のタイルのところが珍しいでしょう?」と、おばさ
んも誇らしげだ。円筒型のディスプレイ棚の下に、タバコの箱で作った
小さな傘が並べてある。

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▲煙草屋のショーケース

最初にアトリエ村がつくられたのは、この要町で、「すずめが丘アトリ
エ村」と呼ばれた。豊島区郷土資料館の解説によると、1931年(昭
和6年)に「奈良次雄(児童画家)の祖母が、孫と同じように美術家を
めざす人たちのために建てた」という。

当時お祖母さんということは、明治初期か、もしかすると幕末に生まれ
た人だったのかもしれない。もちろんお金や土地を持っていた資産家だ
とは思うが、自分の孫のことだけを考えるのではなく、同じ志を持つ若
者のために家を建ててしまう豪傑ばあちゃんが、のちの芸術家たちに多
大な影響を与えたのである。

えびす通り商店街を要町交差点の方へ戻り、大通りを渡ると、ちょうど
向かい側に続く商店街は地蔵堂商興会という。商店街の真ん中あたりに
地蔵湯という銭湯がある。そのはす向かいに立派な地蔵堂。この地蔵堂
からすぐのところに、詩人であり画家でもある小熊秀雄が住んだ東荘跡
地がある。ここで39歳のとき肺結核のために逝去した。「池袋モンパ
ルナス」と名付けたのは小熊秀雄だった。

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▲東荘跡地周辺の路地

地蔵堂の商店街を進み、住宅街になったところで右へ折れる。400
メートルほど歩くと、道の一角に、見ているのが辛くなるほど幹が切断
され、ひどく枯れかけた桜の木が覗いている。この桜の周辺に、最大の
アトリエ村「さくらが丘パルテノン」があった。

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▲枯れかけた桜の木

奈良次雄の祖母にならって、他の人が次々にアトリエ村をつくったが、
このさくらが丘パルテノンには、多いときは70軒前後のアトリエ付き
住宅が建っていたという。私が郷土資料館で見た模型も、このさくらが
丘パルテノンの再現だ。ここに住む学生たちが通った銭湯「不動湯」
と、その名の由来である「西向不動」は現存している。

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▲不動湯

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▲西向不動尊

アトリエ村の片鱗がどこかに残っていないかと、周辺を歩き回った。未
舗装の路地や、家と家との間隔に、少し名残があるような気がする。し
かしほとんどが二階建て住宅やアパートで、つい最近建て替えたばかり
のような新しい家も多い。ただ1軒だけ、不動湯の裏手に木造平屋建て
のかなり古い家があって、模型で見たアトリエ住宅にかなり近い感じが
した。

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▲路地の様子・その1(突き当たりが木造平屋)

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▲路地の様子・その2(ひと1人しか通れない通路)

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▲路地の様子・その3(未舗装の路地)


不動湯から北へ5〜6分歩いたところにある熊谷守一美術館へ。美術館
の開館22周年記念として、特別展を開催中(6月10日まで)。猫の
画集と、「別冊太陽」で特集されていた記事を見たことがあるだけで、
どんな人物だったのか非常に興味を持っていた。守一の次女で同じく画
家の榧(かや)さんの言葉が館内随所に付されており、「軍人と役人と
金持ちが嫌い」で、「文化勲章を辞退」したり(国のために絵を書いた
ことはない、これ以上人が来るようになると困る、という理由)、「人
の書いたものを信じず、とことん自分の目でものを見続けた」という。

美術館の入口外壁には、大きな蟻のレリーフがある。ほとんど外出をせ
ず、一日中蟻を見つめたり、絵を描いたりしていたそうだ。蟻を描いた
墨絵も数点あった。

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▲熊谷守一美術館

ここから一気に南下して、西武池袋線の踏切を越え、目白通りと千川通
りが分かれる二又交差点へ出る。千川通り沿いの南長崎あたりも、昭和
の香りが強く残る古い商店街だ。気になる店はいくつかあるのだが、
ずっとシャッターが閉まったままの「幸福書房」は古本屋としていい名
前だなぁと思っていたら、新刊書店だったそうだ。

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▲幸福書房

幸福書房のちょっと先を右に入ると、手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二
夫、石ノ森章太郎、つのだじろう、水野英子などの漫画家が住んでいた
伝説的なアパート「トキワ荘」があった場所。現在は取り壊されてビル
が建っている。しかしこの跡地のある路地も、未だに未舗装の砂利道に
なっている。

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▼トキワ荘跡地のある路地(左の電信柱のあたり?)

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▲トキワ荘跡地付近、井戸のある路地

藤子不二雄Aの自伝的漫画『まんが道』にも登場する中華食堂「松葉」
は路地を出て目の前。黄色いテント(最近張替えられた)に赤い暖簾、
入口の引き戸には『まんが道』で主人公たちが松葉のラーメンを食べ、
「ンマーイ!」と感激するページを選り抜いたコピーが数枚貼られてい
る。毎日前を通っているが、初めて店に入ってみた。

先客の家族連れが仲良くラーメンを食べている。調理場側の壁にずらっ
と短冊型のメニューが貼付けられており、「ラーめん 400円」(な
ぜかラーはカタカナ、めんはひらがな)と「チャーハン 600円」を
どちらにしようか真剣に迷った。とある方よりラーメンは「ンマーイ!
とは言えない味」と聞いていたからだ。しかしものは試し、ここはラー
メンだ!と意を決して注文。食べてみた感想は……えーと、なつかしい
味、と言っておきます。ラーメン大好きキャラクターの小池さんが食べ
ていたのも松葉のラーメンだったのかしらん。

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▲松葉の暖簾は『まんが道』に出てくる絵と同じ

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▲入口に貼られた『まんが道』

えびす通り商店街の駄菓子屋で買った蝋石で、自分の店の前の縁石に落
書きをしてみた。松葉のラーメンを食べても絵はうまくならず。

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▲蝋石で落書き
posted by かねこ at 00:44| バックナンバー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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