2007年07月13日

第6回 トキワ荘跡地から戸塚市場へ

※この日に歩いた道の地図はこちら↓
wamezo_map06.gif

トキワ荘跡地、中華食堂・松葉のある南長崎から目白通りを目白方面
へ。この道も私の通勤路なのだが、いつも気になる店が途中にあって、
それはごくごく普通の床屋なのだが、実に素っ気ない外観で看板はな
く、ガラスのドアに小さく「松床」と書かれている。きっと常連には
「まっとこ」と呼ばれているんだろうな、と思う。かっこいい。「ちょ
いと、“まっとこ”へいっツくらァ」なんて、落語に出てくる江戸ッ子
みたいだ。
wamezo_070712_01.jpg
▲憧れの男気、まっとこ

山手通りとの交差点を超えると、すぐ右手に小さな劇場、シアター風姿
花伝(2003年創立)がある。いろいろと疎いことが多すぎて面目な
いのだが、当然、演劇にも疎いので公演する劇団の名前を見てもまった
く存じ上げない。7月10日〜16日までは<向陽舎>という劇団が三
島由紀夫原作『薔薇と海賊』を公演中。以降、<ウラダイコク>、<劇
団始発列車>、<日本奇術協会>と続く。夜8時頃に前を通ると、いつ
もたくさんの若者が歩道に溢れている。
wamezo_070712_02.jpg
▲シアター風姿花伝

目白通りを先へ進むと、右手に銀色の煙突が見える。煙突につられて、
ふらふらと路地へ入っていく。目白通りのすぐ裏手に未舗装の路地。地
元の人しか通らない道らしい。つきあたりに福の湯という、まるでペン
ションのような作りの銭湯があった。近いうちに入ってみよう。
wamezo_070712_03.jpg
▲未舗装の路地

wamezo_070712_04.jpg
▲福の湯

銭湯の路地を出ると、聖母病院に続く少し広い通り。歩き出すと、頭の
上に「新宿区立佐伯公園入口→90m」という表示がある。矢印
の差す方向へ、ふたたび路地に入っていく。90m進むと、また
「左へ←佐伯公園」という看板の指示に従い、さらに細い道に入って行
く。看板がなければとても辿り着けないようなところに、ぽっかりと
木々の繁った公園があり、その中に白い木造の洋館が建っている。

これは新宿区の史跡で、洋画家・佐伯祐三(1898ー1928年)の
アトリエを保存しているもの。新宿区が設置している解説案内板による
と、大正9年(1920年)に佐伯祐三が仲間と共に建てたアトリエ
で、かつては住居部分もあったが、老朽化が進んだため解体され、現在
はアトリエと洋間のみが残されているとのこと。佐伯祐三は渡仏後、大
正15年(1926年)にはここで30点の連作「下落合風景」を描い
た。肺疾患と神経衰弱のため31歳の若さで亡くなった。
wamezo_070712_05.jpg

wamezo_070712_06.jpg
▲ひっそりと佇む佐伯祐三のアトリエ

広い通りに戻ると、聖母大学、聖母病院が見えてくる。目白・下落合周
辺はキリスト教関係の建物・施設が多い地域で、近くには目白ヶ丘教
会、日本聖書神学校、目白聖公会などがある。また「目白文化村(また
は落合文化村)」と呼ばれ、大正時代に郊外型住宅として開発された地
域でもあり、この他に個人宅でも多数、近代建築の歴史を感じさせる建
物が残っていて、歩くたびに新しい発見がある。
wamezo_070712_07.jpg
▲聖母病院(東京都歴史的建造物)

目白通りは台地の尾根を走っていて、ほぼ平行して走る新目白通りは谷
にあたる。この2つの通りを繋ぐ南北の道はどこを通っても急な坂で、
しかも風情のある道が多い。住宅街の狭間に密度の濃い緑が繁る「下落
合野鳥の森公園」の脇には、昼間でも薄暗い“オバケ坂”がある。目白
台と早稲田を繋ぐ“幽霊坂”といい、どちらも細く暗い坂道だ。坂の途
中には出来過ぎというくらいの怪しい廃屋があった。日が暮れてからは
絶対に通りたくない。

オバケ坂の隣りは“七曲(ななまがり)坂”。刑事ドラマとは関係な
く、折れ曲がった坂だからついた名前とのこと。源頼朝が近くに陣を
張ったとき、敵の軍勢を探るためにこの坂を開かせたという伝説がある
(『遊歴雑記』)。新宿区教育委員会の表示より。
wamezo_070712_08.jpg
▲オバケ坂

wamezo_070712_09.jpg
▲七曲坂

長い長い七曲坂を登り(実際には5回ぐらいしか曲がってなかった)、
高級住宅地の奥へと迷い込み、地図とにらめっこしながら洋画家・中村
彝(なかむら つね)のアトリエらしき建物に辿りついた。個人
の敷地内にあるため、内部の見学はできず、塀の外から見える部分だけ
を撮影した。赤い瓦屋根には、あかり採りの天窓があるのが見える。雨
樋、外壁の板張りが外れていたり、かなり建物が傷んでいる様子。

今年に入ってから、目白の現代工芸ギャラリー・三春堂さんから「中村
彝アトリエ保存会」設立に関する経緯のお知らせをいただき、その時に
初めて中村彝の名前を知ったぐらいのお粗末な私なのだが、そのアトリ
エが老朽化し、解体の危機にあるという。

日本美術界の宝とされる画家の現存するアトリエを、新宿区はもとよ
り、東京都、芸術系の大学や協会などが保存のためにほとんど動いてこ
なかったとは、これまたお粗末な話ではないかと思うのである。(中村
彝は水戸市出身で、唯一、茨城県近代美術館には復元されたアトリエが
建てられているとのこと。)
三春堂さんのブログ<http://miharudo.exblog.jp/5641770/>で
詳しい経緯を知ることができる。
wamezo_070712_10.jpg
▲中村彝アトリエ(北側の一部)

JR目白駅に近づくと、さらに立派な邸宅が立ち並ぶ地域。このあたりは
大正時代、近衛文磨邸があったところで、道路の真ん中に大ケヤキが生
えている車寄せが現在も残っている。このケヤキ、もともと2本だった
木が、落雷で1本になったという不思議な話を聞いた。1本だったのが
落雷で2本になるというのなら、なんとなく想像がつくのだが。間近で
ケヤキの幹をよく観察したけれど、どこがどう2本だったのかわから
ず、1本がもう1本を包み込んでしまったようには見えた。
wamezo_070712_11.jpg
▲近衛邸車寄せのケヤキ

wamezo_070712_12.jpg
▲どこが2本だった?

不思議なケヤキを後にして、高田馬場方面へ向かう。すぐ右手に瀟酒な
目白ヶ丘教会(昭和25年築)、その道の突き当たりには日立目白クラ
ブ(旧学習院昭和寮/昭和3年築)のかなり変わった建物がある。いず
れも外観を見ることに留まるが、近代建築好きにはたまらない街並みだ
ろう。
wamezo_070712_13.jpg
▲目白ヶ丘教会

wamezo_070712_14.jpg
▲日立目白クラブ

その先は通称“バッケ坂”というこれまた急坂を降りて、第3回の時に
も通過したJR山手線下のトンネル「拱橋」をくぐる。学習院下の
道を右に折れ、新目白通りを渡ると神田川に突きあたる。
wamezo_070712_15.jpg
▲拱橋

wamezo_070712_16.jpg
▲神田川

神田川に沿って高戸橋まで歩き、明治通りを右折。左手にある戸塚警察
署を過ぎて、脇道へ入る。適当に早稲田方面へ歩いたら、古本屋街の
ちょっと手前に「新宿区設戸塚小売市場」、通称・戸塚市場を見つけた。

今年5月で高田馬場ビッグボックスの古書感謝市が終了となり、早稲田
古書展街の有志が、6月26日〜30日の5日間、この戸塚市場内での
新しい古本市を立ち上げた。市場で古本市とはどんな様子なのだろうと
興味津々覗いてみると、実に味のあるところだった。戸塚市場全体の雰
囲気はまさにザッツ昭和。沖縄の市場のような感じもする。早稲田にこ
んな場所があるなんて全然知らなかった。乾物屋、金物屋、古着、八百
屋、燃料店、魚屋が回廊状に並んでいる。市場の3分の1のスペースが
空いており、そこに古本の棚を並べる。魚屋さんの隣りで見る古本、
きっとかなりオツです。次回は7月17日(火)〜21日(土)開催と
のこと。
wamezo_070712_17.jpg
▲新宿区設 戸塚小売市場・入口

wamezo_070712_18.jpg
▲食料品、日用雑貨は一通り揃いそうです

wamezo_070712_19.jpg
▲子どもの乗り物遊具はD51と黒いゾウ(動くか不明)

wamezo_070712_20.jpg
▲乾物屋と金物屋 内部は思いのほか広い

市場内に掲示された張り紙に、こんなお知らせが。「長い間(大正8年
創立)営業致して来ました、当市場が平成20年3月末で東京都から廃
止を通告され、決定されました。」ええーっ!あと8ヶ月じゃないです
か!いやはや。一人でも多くの方がD51を、いや、戸塚市場を
訪れてくださいますよう。心より祈っております。
posted by かねこ at 00:00| バックナンバー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。