2007年10月11日

第8回 水神社から目白台・月の湯へ

※この日に歩いた道の地図はこちら↓
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文京区目白台付近の古地図を見ると、その大部分は武家屋敷であった。現代で もそうだが、江戸の町では景観と日当たりのよい坂の斜面は、概ね大名やお金 持ちのもの。目白台もその典型と言える。
目白通りから神田川へ下る斜面には、広大な敷地を有する結婚式場<椿山荘> がある。ホームページの説明によると、安政4年(1857年)頃には上総久 留里藩(千葉ですね)、黒田豊前守の下屋敷であったという。その後、山縣有 朋(第3代、9代内閣総理大臣)が明治11年(1878年)に私財を投じて「つば きやま」を購入し「椿山荘」と命名。

神田川沿いの遊歩道からは冠木門(かぶきもん)をくぐって椿山荘の庭園に無 料で入ることができる。庭園内には喫茶や懐石料理が食べられる料亭が数件 あったが、高そうなので横目で見つつ通過。

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▲神田川沿い遊歩道

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▲和風庭園の視界を遮るフォーシーズンズホテル

◎椿山荘ホームページ
http://www.chinzanso.com/index.html


椿山荘に隣接して、松尾芭蕉が深川に移る前、1677年から4年ほど住んだ という<関口芭蕉庵>がある。建物は昭和に入ってから火事と戦災で焼失して いる。芭蕉はここから見える早稲田の田んぼを琵琶湖に見立て、その風光を愛 したと言われている。塀越しに芭蕉の木が繁っているのが見える。巨大な花が 怖い。

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▲芭蕉の花

芭蕉庵と水神社の間にある胸突坂を上がる。傾斜もかなりある長い坂で、階段 のように段差がつけられている。自分の胸を突くようにしなければ上がれない ような急坂に、江戸の人がよくつけた名前だという。文京区にはこの目白台 と、白山、本郷の3カ所に胸突坂と呼ばれる坂がある。

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▲胸突坂

胸突坂を登った左手に「永青文庫」がある。肥後熊本の大名、細川家歴代25 代によって蒐集された歴史資料や文化財をはじめ、24代護立氏(元内閣総理 大臣・細川護熙氏の祖父)が蒐集した近代日本画、中国の考古品、陶磁器など を一般に展示公開する博物館。

鬱蒼とした木立の中に大きな洋館が建っており、いつも薄暗く静まり返ってい る印象。長期間休館していたり、開館していてもなにか恐ろしいような気がし て、いまだに建物内を見学したことはない。建物の写真を撮ろうと敷地に入っ ていくと、庭の片隅に高さ1m20cmほどの石の輪が地面に立っている。なん だろう、得体が知れず、もうだめだと思ってそそくさと外へ逃れる。

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▲永青文庫

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▲謎の石の輪

◎永青文庫公式サイト
http://www.eiseibunko.com/


人のいる方へと、目白通りへ。すぐ右手に<講談社野間記念館>があるが、現 在改修のため長期休館中(2008年3月まで)。永青文庫のようなおどろお どろしさもなく、講談社所有の絵本の原画展など興味のある展示も多いので、 身近な美術館として今後に期待したい。あっ、野間記念館の前で、アイツに再会。

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▲再びリクちゃん散歩中

◎講談社野間記念館
http://www.kodansha.co.jp/nomamuseum/about/index.html


目白通りを渡って護国寺方面へ歩き出すと、住宅街の途中に「和洋裁・糸・小 物類 文房具・おもちゃ」と掲げた店が。店名は<沼田書店>。よく見ると 「古書売買」とも書いてある。ん?!古書!!慌てて店内へ。このあたりは何 度も歩いているのに、古本屋があることに全く気がついていなかった。

表のテントにある通り、おもちゃも売っている文房具屋さんという赴きの店内 なのだが、正面奥と左側の壁2面が本棚になっていて、児童書、実用書、小説 などが雑多に並べてある。が、通路に本以外の在庫が積み重なり完全に行く手 を塞いでいるため、9割がたは背表紙が見えるだけでとても手が届かない状態 だ。古書組合にも入っていらっしゃるのだが、店主さんが腕を痛めていて本や 品物の持ち運びが思うようにできず、なかなか整理できないのだという。手の 届く本棚から1冊、本を買わせていただく。

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▲沼田書店

住宅街を進む。護国寺駅に近い台地の上に、筑波大学附属盲学校がある。内田 百間『無絃琴』の中に、「小石川雑司ヶ谷の盲学校の前の家にいた時」とあっ て、清土の谷(現在の清戸坂と思われる)一つ隔てた、雑司ヶ谷で起きた大火 事を見物に行く話が書かれている。

同じく内田百間『蜻蛉眠る』で、「初夏の或る日、私は子供達の顔を一巡眺め た後で、だまつて家を出た」という「家」は、この盲学校の前の家のことだろ う。そのあと3、4年ばかり、早稲田の奥の砂利場にある、1人1室賄い付 き、1ヶ月20円の高等下宿(早稲田ホテル)に閉じ籠っていた。

「子供達を残して来た雑司ヶ谷の家は、私の部屋の裏側の窓から見える丘の森 の奥にあたる見当であつた。」(『蜻蛉眠る』)という記述と、鬼子母神前か ら早稲田へ抜ける宿坂の下あたりがその昔、砂利の採石場(通称・砂利場)で あったことから、早稲田ホテルは宿坂下にあったのではないかと思っている。 盲学校の前から歩いて10分ほどの距離である。なにもそんな近いところに隠 れなくても、と思うが、台地の上から一線を越えて下にやってきた砂利場の大 将の気持ちも、わからなくもないな、とも思うのである。

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▲盲学校の前あたり

目白通りの方へ戻り、月の湯へ。昭和8年頃、宮大工が建てたという破風造り の銭湯だ。2006年末に一旦廃業を決めたが、周辺住民や銭湯ファンの声を 受けて、現在は週3日だけ営業するようになった。遠方からわざわざ入浴しに 来るファンが多く、脱衣所にはメッセージを書き残せるノートが置かれている。

営業時間ヘ、日曜日/16時〜23時、火曜日/17時〜22時、木曜日/1 7時〜22時。週4日ある休業日は、浴場をさまざまなイベント会場として借 りることも可能だそうで、11月にはライブイベントが企画されている。旅猫 雑貨店も手ぬぐい屋として参加する予定。(詳細はわめぞblogにアップしま す。)

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▲月の湯

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▲月の湯入り口
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