2008年02月10日

第12回 雑司が谷霊園掃苔録・その1

※この日に歩いた道の地図はこちら↓
http://tinyurl.com/2ztpqn

足立区梅田というところにお寺の親戚があって、小学生の頃に何度か、家族総出で墓地の掃除に出掛けた。我が家のご先祖の墓ではなく、その寺の敷地にある他人様の墓すべてを、父、母、兄、私の4人で掃除するのだ。
 
おそらく年に一度か二度、お彼岸の前あたりに手伝いに行ったのだと思うが、梅田のお寺に行くことは私にとってはレジャー気分だった。父の指令のもと、墓まわりの雑草を引っこ抜いたり、隙間にはさまっている枯葉を竹の棒でかき出したりして、他人様の墓がひとつひとつこざっぱりしていくのがとても楽しかった。

作業が終わると、アルバイト代のかわりに、お寺の倉庫から熨斗紙のついた箱入りの石鹸だのサラダ油だのお菓子だの、檀家さんがお寺に持ってくる贈答品の余りをたっぷりともらって帰った(おかげで我が家では石鹸を買ったことがなかった)。

実家のある本駒込2丁目は、町内の8割方は墓地という寺町で、窓を開けるとお墓が見える部屋で育った。小・中学校の通学には、墓地と墓地の間を抜ける細道を毎日使った。おかげで怖いという感覚はあまりなく、かえって静かで緑が多いので良い環境だとさえ思っている。

そうして今は、広大な雑司が谷霊園のそばに自分の店を持つに至った。どうやら日常に墓地がある風景との縁は、切っても切れないようだ。

普段は霊園内を横切る道路を自転車でぴゅーっと通過するだけなので、たまにはゆっくりと散策してみたい。雑司が谷霊園は明治時代初期に開設された東京都立の霊園で、その面積は11万5,400平方メートル、埋葬数は3万7千余。都内にはこのほかに青山霊園(26万平方メートル)、染井霊園(6万7,911平方メートル)、谷中霊園(10万平方メートル)といった、同時期に作られた大規模な霊園が点在する。

今回は、雑司が谷の郷土研究家、矢島勝昭さんが製作した「雑司が谷霊園に眠る著名人」(発行・緑のこみちの会/1994年5月)という霊園マップを片手に、作家、役者、画家などのお墓を見てまわった。(このマップにはほかにも学者、医者、教育家、銀行家、政治家、軍人、幕臣といった人々まで網羅されている。)写真を撮るかわりにお墓の掃除をしてあげたいのはやまやまなれど。

まずは雑司が谷霊園といえばこの方、夏目漱石から。著作『こゝろ』は雑司が谷霊園が舞台となっていることで知られている。墓石も立派。

wamezo_080212_01.jpg
▲夏目漱石(大正5年没・行年49)

漱石先生の墓のすぐ裏手に、「鬼あざみの入口」の表示あり。以前、マップ制作者の矢島さんにお話を伺ったのだが、この鬼あざみとは江戸の盗賊、鬼あざみ清吉のこと。「すり抜けの名人」といわれたことから、かつてはバクチ打ち、のちに受験生が合格祈願に訪れたという。最近の受験生はほとんどお参りに来ないらしいが、私の夫(昭和36年・雑司が谷生まれ)は高校受験の時、クラス中が鬼あざみの墓に合格祈願に行ったとのこと。

30歳で獄門さらし首になったという清吉。辞世の句に「武蔵野にはびこる程の鬼薊(おにあざみ) 今日の暑さに枝葉しほるる」とあった。

wamezo_080212_03.jpg
▲鬼あざみ清吉(文化2年没・行年30)

雑司が谷に店を出してから、竹久夢二の絵の版元・港屋さんと取引きを始めた。黒猫を抱いた着物美人の絵「黒船屋」をはじめ、夢二が描いたさまざまな図案や挿し絵を風呂敷に配したり、便箋やぽち袋、ポストカードにしたものを取り扱わせていただいている。

店の大家さんは元々雑司が谷霊園のそばで老舗の花屋を営んでおり、夢二の墓所の管理を任されていた方だったこともあり、多少のご縁を勝手に感じているので、しっかりとお参りをする。丸くかわいらしい墓石には細い線で「竹久夢二を埋む」とだけ彫られている。

wamezo_080212_05.jpg
▲通路入り口の案内

wamezo_080212_06.jpg
▲竹久夢二(昭和9年没・行年51)

歌舞伎役者の墓もいくつかあった。市川左団次(三世)、市川門之助(代々)、尾上菊五郎(六世)、尾上梅幸(六世)、市村羽左衛門(十五世)。梨園の身内かファンかわからないが、どの墓にも新しい花が供えられている。尾上菊五郎の墓は四方に椿の木が植えられていて、より一層華やかだった。

wamezo_080212_08.jpg
▲市村羽左右衛門(十五世/昭和20年没・行年73)屋号橘屋。
 尾上梅幸(六世/昭和9年没)女形の名優。

wamezo_080212_15.jpg
▲尾上菊五郎(六世/昭和24年没・行年64)

島村抱月は明治39年に早稲田文学を主宰。文芸協会を興して新劇の指導をしたり、女優・松井須磨子との恋愛スキャンダルを起こしたり、かなり熱い人だったのだろうと思う。墓所は庭のように石を配してあり、一番大きな石碑に「在るがままの現実に即して/全的存在の意義を髣髴す/観照の世界也/味に徹したる人生也/此心境を芸術と云ふ 抱月」と彫られている。

wamezo_080212_10.jpg
▲島村抱月(大正7年没・行年48)

『愛染かつら』『しぐれ茶屋おりく』などで有名な小説家・川口松太郎とその妻・三益愛子(エノケン劇団、ロッパの「笑いの王国」、のちに東宝、大映に入社)、長男・川口浩(青春映画でヒットし、野添ひとみと結婚。テレビの探検隊シリーズで活躍)はひとつ墓に入っている。家族ですから当然ですが。

wamezo_080212_14.jpg
▲川口一族の墓
 川口松太郎(昭和60年没・行年85)
 三益愛子(昭和57年没・行年71)
 川口浩(昭和62年没・行年52)

私は安藤鶴夫が徹底的に軽蔑した落語家の芸風が割と好きな方で、どちらかと言うとアンチ・アンツルなのだと思う。立川談志が一番好きだし。ここまで好き嫌いがはっきりした人は怖いなぁと思う。勝手にお墓の写真を撮って怒っているかもしれない。

wamezo_080212_17.jpg
▲安藤鶴夫(昭和44年没・行年83)

押川春浪の本で手にしたことがあるのは、ほるぷ出版の名著復刻日本児童文学館『海底軍艦』ぐらいか。もちろん読んでいません。矢島さんの解説によると、「大衆児童文学作家/空想科学的軍事冒険小説を書き第二次世界大戦敗戦まで児童冒険小説に影響を与えた」とあります。勉強します。

wamezo_080212_16.jpg
▲押川春浪(大正3年没・行年38)

名前は知っているが、なにをした人かと聞かれると怪しい(自分が)。お墓をめぐることによって、いろいろ発見がある(自分にとって)。そんな1人、村山槐多。どうして雑司が谷に眠ることになったのだろう。その経緯が知りたくなった。さらにもう1人、岩野泡鳴。小説家として認められるに至った著作『耽溺』は、青空文庫で読むことができる。

wamezo_080212_19.jpg

wamezo_080212_20.jpg
▲村山槐多(大正8年没・行年22)洋画家・詩人。

wamezo_080212_21.jpg
▲岩野泡鳴(大正9年没・行年47)

◎『耽溺』/青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000137/files/1207_21584.html


雑司が谷霊園に眠る著名人はまだまだおります。お墓めぐりは、次回もつづきます。
posted by かねこ at 00:22| バックナンバー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。